最近よく耳にする「弱男」という言葉。
SNSなどではネタっぽく使われているけれど、その背景には、はっきりとした経済格差がある。
そしてその分かれ目のひとつが「年収300万円の壁」だ。
これは単なる数字の問題ではなく、恋愛や結婚、ひいては人生の選択肢にまで影響を与える、
現代の「見えない線引き」になっている。
高所得者へ集中する女性たち、取り残される男性たち

女性が結婚相手に求める「経済力」は、現代でも依然として根強い。SNSやマッチングアプリでも、「年収400万円以上希望」というプロフィールは決して珍しくない。
結婚相談所の調査でも、女性が結婚相手に求める年収の平均は400~500万円というデータもある。
一方で、実際の若年男性の年収を見ると、300万円台がボリュームゾーンだ。厚生労働省の賃金構造基本統計調査によると、20代後半男性の平均年収は約370万円。しかもこれは正社員の話で、契約社員や非正規雇用の男性はそれよりもさらに低い。つまり、そもそも「求められている条件」を満たせる男性が、数の上で圧倒的に少ないのだ。
結果として、条件を満たすごく一部の「勝ち組男性」に女性が集中し、それ以外の多くの男性たちは、恋愛や結婚のスタートラインにすら立たせてもらえない。
この構造は、「恋愛の格差化」とも言えるだろう。

恋愛も結婚も“機能重視”に
メディアでは「ときめき」や「フィーリング」といった感情ベースの恋愛観がいまだに語られるが、現実には「安定した収入」「将来性」といった、いわば“スペック”が評価軸になっている。
もちろん、経済的な安定を求めるのは合理的だ。共働きが前提の時代とはいえ、妊娠・出産などライフステージで女性側が一定期間働けない可能性を考えれば、相手にある程度の経済力を求めるのは自然だろう。
しかしその一方で、「経済力がない=人間としての価値がない」というような空気が漂っているのも事実。年収300万円前後の男性は、まるで「恋愛市場からの退出」を強制されているような状況に置かれている。

「弱男」は間違っていない、間違っているのは社会だ
年収が低い、身長が低い、家族構成が複雑…こうした属性そのものが悪いのではない。それを理由に「選ばれない」「排除される」構造が問題なのだ。
恋愛や結婚において、社会が求める条件に当てはまらなければ、人としての価値すら認められないような風潮。それが人々を追い詰め、「もう恋愛はしない」「どうせ俺は…」という自己肯定感の低下を招いている。
これは、個々の問題ではなく、社会構造によって生み出された分断だ。
声を上げることの意味
「なんで結婚しないの?」と問う前に、「結婚できる社会になっているのか?」を問うべきだ。
今の日本では、結婚や出産は“選ばれた人だけの特権”になりつつある。その裏で、たしかに努力し、まじめに働いているのに、年収という「数字」だけで切り捨てられていく人たちがいる。
恋愛や結婚は、もっと開かれたものであるべきだ。経済力だけでなく、人柄や価値観、人生観といったものを尊重できる社会であってほしい。
「弱男」と呼ばれる人たちは、何も間違っていない。おかしいのは、そんなラベルを平然と貼り、切り捨てる社会のほうだ。
だからこそ、この現実に声を上げるべきだと思う。
それは、単に恋愛や結婚の話ではない。
“このままじゃ、社会ごと沈んでいく”――そんな危機感を、今こそ共有すべきときじゃないだろうか。

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